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  3. 第6弾 梅田の急速な発展とこれから

梅田の
急速な発展とこれから

2018年3月

大都市梅田への発展

国鉄大阪駅が完成したのち、東海道線全線開通などによる乗降客数急増に伴い、大阪駅もその設備を大幅に拡張する必要が生じたため、1901(明治34)年に2代目大阪駅が、さらに駅機能を増強するため、1940年には3代目大阪駅が完成しました。時を同じくして、今の阪神百貨店の前身である阪神マートが開業。次第に多くの人でにぎわうようになりました。
多くの人が集まる街に変貌を遂げた梅田の一層の都市化を目指し、大阪市は大規模な土地区画整理事業により、大阪ダイヤモンド地区(現在の梅田1丁目)の整備を行う計画を立ちあげます。

はじめは、大阪駅により近い北側の区画から整備を行い、第二次世界大戦により計画は一時中断されましたが、戦後再開されると、南側に現在の大阪駅前第1ビル~第4ビルが竣工。ダイヤモンド地区の発展を皮切りに、梅田全域が急速に発展していくのです。

  • 昭和17年の大阪ダイヤモンド地区

    出典:大阪駅前市街地改造事業誌

    出典:大阪駅前市街地改造事業誌
  • 現在の大阪ダイヤモンド地区

旧国鉄の処分用地における大規模再開発の進展

梅田地区一帯の都市景観は、主に旧国鉄の処分用地の再開発により大きくその姿を変えていきました。
旧国鉄の梅田(南)貨物ヤード(現在の西梅田地区)であった地区を含む約11haは複合都心整備事業が行われ、毎日新聞社ビルを皮切りに次々に高層ビルや宿泊施設ができ、オオサカガーデンシティとして現在の姿になります。また、2001年11月にはJR大阪駅すぐ北側の旧国鉄大阪鉄道管理局跡地に「ヨドバシ梅田」が完成しました。

梅田(北)貨物ヤード(現在のうめきた地区)については、1987年に国鉄改革により国鉄清算事業団へ承継され、2003年3月まで大阪の物流拠点としての役割を担ってきました。関西に残る最後の一等地として期待され、2002年に都市再生緊急整備地域に指定、2004年に「大阪駅北地区まちづくり基本計画」が策定され、梅田(北)貨物ヤード約24haのうち先行開発区域7haに、2013年4月「グランフロント大阪」がまちびらきしました。

現在の西梅田地区も、もとは貨物用線路だった

うめきた先行開発に伴い進行した
JR大阪駅の開発

2003年に大阪市より梅田北地区のまちづくりの方向性を示した「大阪駅北地区全体構想」が発表されると、JR大阪駅においても、大阪の玄関口としてふさわしいターミナル拠点へと整備すべく、利便性・回遊性を高めるための駅空間の改良、新北ビル開発、南ビルの増築が行われ、2011年に大阪ステーションシティとして開業を迎えました。

大阪ステーションシティ

中でも、新北ビルと南ビルの間にかけられた大屋根は、トップライトを採用した照明の節電や、屋根の傾斜を利用して雨水を集め再利用する等、環境的側面を担いつつ、その特徴的なデザインによって開放的な駅空間を生み出しており、大阪駅のランドマークとなっています。また、8つの個性的な広場が作られ、その一つの「天空の農園」では、都心では日頃体験できない作物収穫イベントが催されるなど、憩いや安らぎの場として「都市のオアシス」に認定され、地域貢献の場へと変貌を遂げました。

天空農園

参考文献:(大阪駅改良・新北ビル開発計画について)

現在形の完成と未来形

一方で、長年営業を続けていた梅田阪急ビルも建物の老朽化問題などを抱えており、都市再生特別措置法(2002年4月施行)に基づく建替えプロジェクトが動き始めました。
この建替えでは、旧コンコースを無柱の大空間に一新させるだけでなく、外壁は旧阪急百貨店うめだ本店の伝統を引き継いだデザインになっています。JR大阪駅や阪神百貨店と連絡する歩行者デッキからそのまま2階レベルでアクセスできるようになるなど、梅田がより歩きやすくなる交通導線の改善を行い、2012年梅田阪急ビルの建替えが完了し、梅田の現在形が完成しました。
現在も阪神百貨店の建替え工事やうめきた2期の開発などが行われており、梅田のまちは今後もさらに発展していきます。

  • 梅田阪急ビル 南北コンコース クリスマス・イルミネーション「0号線のPLATFORM」

    梅田阪急ビルの無柱空間は非常に開放的な空間となっている
  • 2022年竣工・開業予定の梅田1丁目1番地計画ビル(仮称)

梅田地区エリアマネジメント
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